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コラム

【マーケティングせつないとき】氾濫する広告がノイズ化しているとき(2005.04.13)

桜の頃、目白通りを車で走ると、都電荒川線早稲田駅近辺、線路と並行する神田川沿いの桜には目を奪われる。その光景に走る都電が重なると、なかなか乙なもの・・・のはずが、残念ながら、車体を覆うラッピング広告の「品」のないこと。おいおい、せっかくの桜も台無しだ。
遡れば2000年4月、石原都知事のもと東京都営バスに全面広告を施した「ラッピングバス」が導入された。都の広告収入増加のためというアイデアまではよかったのだが、どうも中にはそのセンスを疑わざるを得ないデザインのものがある。
公共交通機関としてのアイデンティティが損なわれ、何の車両だかよくわからないことがまずもって問題だ。街の景観との関係性を無視し、目立つことのみを考えた独善的な広告は勘弁してほしい。ビジット・ジャパンなどと言っておきながら、これでは海外からの観光客に恥ずかしいというものだ。
それにしても私たちの生活の視界に広告は増えた。ある程度の都会において、視界に全く広告が入らない場所があるだろうか?またウェブサイトを三つのぞいて広告に出会わないなんてことがあるだろうか?
バス・電車の車両、飛行機の機体、駅構内の柱、エスカレーターの手すり、エレベーターの扉、自動改札機、インターネット、携帯電話、ビルのフロア等々、以前はあまりなかったような場所にもこれでもかと広告が並び、あらゆるものがAD化していると言っても過言ではない。
広告効果がなくなってきたとマーケターは嘆くが、量的にこれだけ氾濫すれば当たり前だ。
生活者は目や耳にする情報量が多過ぎて、読書に例えれば、字面を追っているだけで全く中身に注意を払っていない。以前は、ざっと眺めて必要なものを選別しようとしていたが、多くの人はその努力すらもせず無視してしまってるのではないか。一時的に目を引く広告も、目立ちたがり屋の競い合いの末に見る側の感覚が麻痺してしまい、結果全く目に入らない。露出していることと、ユーザーに伝わることとは違うことを認識しないといけない。まさに、「なんで見ないのよ。」青木さやか写真集状態だ。
一方広告の質も重要だ。
広告目的には、売上の増加、認知度向上、イメージ、ブランド・ロイヤリティ向上、見込客獲得などがあるが、それが定まっておらず、例えば、明らかに一部の特定ターゲットにもかかわらずマス広告を打っていたり、イメージ広告なのに資料請求を求めたり等中途半端な広告も散見される。また、前述の都電やバスのようにデザイン自体が、広告の、ひいてはその企業の質を下げてしまっているものも少なくない。
「広告は情報だ。」たしかに私もそう思う。いやそうであってほしい。歴史を振り返ってみると、懐かしさと同時に時代を超えた文化や美しさを感じる広告がたくさんある。印象に残っているということは、当時マーケティングなど意識していなくても一人の生活者として、それを情報として受け入れていた証拠だ。
昨今見られる広告の量的氾濫、質的な乱れから、「悪貨は良貨を駆逐する」なんてことにならないことを願っている。
広告とは下心があることを名言した上でのメッセージだ。それゆえ、やはりある程度しとやかさがあり、美しくないと嫌われてしまうというものだろう。広告が、ノイズになり下がらず情報であり続けるためには、適切にデザインされたものであってほしいものだ。(鈴木一)

*この記事は、週刊で発行するメルマガ【マーケとマネー〜せつないとき】79号に掲載したものです。ご興味のある方はこちらからご購読ください。
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